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【羽田七福いなりめぐり】羽田エリアの隠れた幸運

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2024年1月3日(水)に羽田七福いなりめぐりに行きました。
今回は、羽田エリアにある七つの神社に関するアクセスの仕方や歴史を紹介します。
れぞれ異なる幸運をもたらす神様たちが、空と縁起をテーマにどのように祀られているのかを探ります。
飛行機の音とともに、縁起の良さを感じながら歩きませか。

羽田七福いなりめぐりとは

毎年正月に行われる催し物です。
この期間は各神社にて御朱印を受け付けております。
京急空港線 糀谷駅近くの東官守稲荷神社を始めに、
ゴールの穴守稲荷神社までの所要時間は約2時間となっております。

羽田七福いなりの概要

名 称第35回 羽田七福いなりめぐり
期 間令和6年1月1日~3日 各日9:00~15:00まで受付
*※前回同様 3日間の開催となります。
場 所東官守稲荷神社~穴守稲荷神社 全8社
初穂料公式集印帳(色紙):200円+朱印料:各社100円
*持込朱印帳の場合、朱印料:各社200円となります)

羽田七福いなり 全体のルート

総距離4.5㎞になっています。
普段運動しない人も年始に散歩してみてはいかがでしょうか

羽田七福いなりめぐりの歴史

1988(昭和63)年、穴守稲荷神社の責任役員の発案で開始された羽田地区の稲荷神社7社と
玉川弁財天の全8社を巡拝する催しとのこと。
毎年1/1~1/5の期間、御朱印を受けられるそうです。
*今年(2023年は1/1~1/3)

全8社のまとめ

萩中 東官守稲荷神社

御祭神天照皇大神・ 豊受姫大神
創建年代不詳
御神徳身体安全

萩中 東官守稲荷神社とは

東官守稲荷神社は、昔、萩中町7番地(旧番地)辺りにあり、
敷地も広く東に向き、海に向かって建てられていた。
当時この地に住む村人は、半農半漁の生活していたので、
海における仕事の安全を祈る守護神として、
村人達の信仰を集めていた。
大正6年の風水害により、社は被害を受け、
萩中神社再建の際、萩中神社の境内に移された。
しかし、また昭和20年4月戦災の為、焼失してしまったが、
町民の努力により、再建された。

アクセス

京急糀谷駅から約5分

上田 妙法稲荷神社

御祭神宇迦之御魂命
創建年代享和元年9月(1801年)
御神徳招福厄除

上田 妙法稲荷神社とは

享和元年9月(1801年)大洪水の被害から立直る為、
京都伏見大社の分霊を賜り、大松の下に社殿を建立し、
鎮座されたものと伝えられている。
この松の根元には白蛇が住み、神の使いと云われた事から、
蛇稲荷とも呼ばれ信仰を集めていた。
大正12年の関東大震災の折、大松も社殿も焼失したが、
当時の有志により松の切り株の上に八角堂が建立され、
妙法稲荷と呼ばれ信仰を集めていた。
昭和20年の戦災によって八角堂は焼失したが、
昭和31年崇敬者ならび地元有志により現在の社殿が建立された。

アクセス

萩中 東官守稲荷神社から約10分

大野 重幸稲荷神社

御祭神宇迦之御魂命
創建年代不詳
御神徳開運長寿

大野 重幸稲荷神社とは

昔、この辺一帯は、大野上田と呼ばれていた。
多摩川のほとり、旧六郷土堤の際には、村人たちは、
たびたびの洪水より田畑を護り、五穀豊穣を祈って、社を建立した。
社前の道路は、旧六郷土堤であり、現在の高さが、旧堤防の高さであった。
境内には、昭和20年4月の大空襲で焼失してしまったが、
樹齢400年、幹まわり3.5メートルの楠の大木があった。
社前の道路が一部ふくらんでいることが、
大木のあったことと歴史の古さを物語っている。

アクセス

上田 妙法稲荷神社から約5分

中村 高山稲荷神社

御祭神天照皇大神・豊受姫大神
創建年代不詳
御神徳学業成就

中村 高山稲荷神社とは

この辺りは中村と呼ばれ、
社殿は名主橋爪家(伊勢田=本羽田3ちょうめ辺り)の前にあった。
昭和4年、六郷土堤の改修工事の際、現在地に移転された。
移転前の社が、飛騨高山により来た大工によって建築されたことから
高山稲荷と呼ばれるようになった。
戦前の初牛祭には、芝居も催され大層賑わった。
この辺りの親たちは、初牛の日に子供を、
社前に小屋を作り、おこもりさせてから、寺子屋に入門させたという。

アクセス

上田 妙法稲荷神社から約12分

仲町 鴎稲荷神社

御祭神宇迦之御魂命
創建年代弘化2年(1845年)
御神徳開運招福

仲町 鴎稲荷神社とは

現存する石の鳥居に弘化2年(1845年)建立と刻まれているところから、
御鎮座は以前となる。
その昔、漁師たちが祈願をすると、カモメが飛来し、
大漁であったと云うことから、かもめを大漁の兆しとして崇め、
以後鴎稲荷と呼ばれるようになった。
大正13年頃、社屋を新築したが、昭和20年の戦災で焼失してしまた。
その後町民により再建され、現在でも初午の夜はかがり火をたき太鼓を打ち鳴らしている。

アクセス

中村 高山稲荷神社から約14分

羽田 玉川弁財天

御祭神水波乃咩命
創建年代不詳
御神徳金運長寿

羽田 玉川弁財天とは

江戸名所図会に”羽田村の南の洲の先にあり、故に羽田弁財天と称せり。
本尊は、江の島本宮巌屋弁財天と胴体にして、弘法大師の作なりといへり。
宝永8年(1711年)4月此地に遷し奉る云々”とある。
社頭は、江戸新堀、小西九兵衛という酒問屋がすべて造ったと云われ。
境内の一部に常夜灯があり、沖行く舟の目標であったと云う。
版画もいろいろ作られている。
現在の羽田空港内(要島・鈴木新田)にあったが、昭和20年9月
連合軍の強制立退命令により、現在地に遷った。

アクセス

仲町 鴎稲荷神社かた約6分

鷹取 白魚稲荷神社

御祭神宇迦之御魂命
創建年代不詳
御神徳無病息災

鷹取 白魚稲荷神社とは

武蔵国風土記に”漁士白魚を初めて得しときは、まず此の社に供える。
故にかく云へり”と社名の起源が書かれている。
多摩川の砂利砂採取が行われるようになった頃、この事業に
従事する人たちの信仰を受け、社頭に大いに盛んであった。
この随近は、昔、わらぶき屋根が多く、漁師町特有の建込んだ
家並から、家事が起こらないよう祈願する人も多く、
火伏せの神様としても信仰がある。
そのためか、この社は戦火をまぬがれた。

アクセス

羽田 玉川弁財天から約3分

東京羽田 穴守稲荷神社

御祭神豊受姫命
創建年代文化元年(1804年)頃
御神徳航空安全・家内安全・商売繫昌

東京羽田 穴守稲荷神社とは

文化文政の頃、羽田浦(現羽田空港)の災厄削除を願って創建。
明治以降は「関東一流祠」とも称され、日本初の神社参詣電車
である京浜電鉄穴守線(現京急空港線)も開通し、
鉱泉宿街を中心とした鳥居前町や海水浴場、競馬場を有する
一大観光地であった。
敗戦に伴う連合国軍による飛行場接収の為、
ただ一基の大鳥居だけを残し、空港と一衣帯水の現在地へ遷座した。
大正時代から続く航空業界との深い神縁から、空港関係者・利用者の信仰も篤い。

アクセス

鷹取 白魚稲荷神社から約6分

寄り道

羽田七福いなり道中で少し寄り道をしました。
ここでは、寄り道をした3カ所を紹介します。

羽田神社

御祭神須佐之男命・稲田姫命
創建年代不詳
御神徳えんむすび・勝負事・運航安全・航空安全祈願・
厄除け・八方除け・学業成就など

羽田神社とは

羽田空港を含む羽田地域の総鎮守。
もとは隣接する常栄山自性院境内の牛頭天王社であった。

その歴史は鎌倉時代に遡り、今から800年ほど前、当地の領主・行方与次郎が
牛頭天王を祀ったことに始まる。
江戸時代には徳川家・島津家・藤堂家などが篤く崇敬したという。

『新編武蔵風土記稿』によれば羽田村と羽田猟師町の鎮守で、
稲毛領平村に鎮座する八幡宮(川崎市宮前区平の白幡八幡大神)の神主・
小泉氏が社役を務めた。

明治元年(1868)神仏分離令により自性院から独立し、八雲神社と称した。
さらに同40年(1907)羽田神社と改称した
(ただし、現在も自性院内に牛頭天王社が祀られている)。

羽田空港の鎮守として航空関係者の崇敬も篤く、航空安全・旅行安全の神徳でも知られる。

境内には富士塚(羽田冨士)がある。
明治初期に築かれたもので、大田区の文化財に指定されている。

アクセス

多摩川

仲町 鴎稲荷神社から玉川弁財天の間を多摩川に寄り道してみました。
普段、都会に住んでいると自然になかなか触れ合う機関がありませんが、
触れ合うことができました。
多摩川から羽田空港が見れたり、川や木で休んでいる鳥が見れたりします。
海からの風も届き、潮風を感じながら散歩ができます。

穴守稲荷神社旧一の大鳥居

旧穴守稲荷の、一の鳥居です
敗戦に伴う連合国軍による飛行場接収の為、
ただ一基の大鳥居だけを残し、空港と一衣帯水の現在地へ遷座した。

アクセス

まとめ

羽田七福いなりめぐりは、羽田空港周辺に広がる七つの神社をめぐる特別な巡礼路です。
それぞれの神社には、航空安全や縁起の良さ、歴史的な人物への崇敬など、
さまざまなテーマが込められています。
この旅は、都会の中に広がる小さな幸せの宝庫を訪れることで、
心に平穏と幸福をもたらすものです。

次回予定

次回予定は未定になっています。
次回の予定が決まりましたら、更新します。